2024/1/30作成
WWEではどうしても外国人選手、日本人だけでなくメキシコ人やロシア人を含めてどうしても悪役に置く傾向や良くないステレオタイプがある傾向があります。そのような環境下においてもWWEにて有名になった、活躍した日本人レスラーは数多くします。本記事では米サイトにて紹介された”歴代日本人レスラーTOP10”を紹介します。
10位 タイガーマスク
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日本の伝説・タイガーマスクには長い成功した歴史がある。その中で米サイトで紹介されたのは初代の佐山聡である。タイガーマスクとしてダイナマイト・キッドとの試合で、多くの人々がライトヘビー級やクルーザー級のスタイルを生み出す一助とみなす試合を戦った。また、WWFジュニアヘビー級王座とNWA世界ジュニアヘビー級王座を同時に保持した唯一の人物でもある。
9位 飯伏幸太
飯伏幸太はWWEと契約はしていなかったが、WWEクルーザー級クラシックで活躍。大会ではショーン・マルタ、セドリック・アレクサンダー、ブライアン・ケンドリックを破り、優勝者のTJPに敗れた。その後、ダスティー・ローズ・タッグチーム・クラシックにも出場し、TJPと組んだが、2回戦でサニティーに敗れた。飯伏幸太はIWGPインターコンチネンタル王者、IWGPジュニアヘビー級王者、NEVERオープン級王者、IWGPジュニアヘビー級タッグ王者として活躍し、現在はAEWと契約している。
8位 小林健太(KENTA)
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WWEが小林健太を獲得したことは大きな瞬間だったが、デビュー後はブロック・レスナーなどのトップ選手がWWEに入っていく中で注目されず、怪我も相次ぎ、タイトル獲得もならなかった。しかし、小林はプロレスノアで8つのタイトルを獲得し、現在は新日本プロレスで活躍する(WWEには2017-2019年に参加)。
7位 TAKAみちのく
TAKAミチノクのWWEでのキャリアは特徴的。一時期は真剣に扱われ、1997年のWWEライトヘビー級王者に輝き、日本でも23回のタイトルを獲得した実績を持つ。その一方で、日本人レスラーの風刺として描かれ、特にカイ・エン・タイの一員としてはコミカルな役回りが多かった。TAKAミチノクのキャリアは、WWEの光る瞬間と日本での輝かしい実績が共存するするものと言える。
6位 藤波辰爾
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WWEは2015年に藤波辰爾を殿堂入りさせた。藤波辰爾は1971年に17歳でプロレスのキャリアをスタートし、アントニオ猪木に師事。猪木が新日本プロレスを設立すると、藤波も師匠の下で活動した。70年代にはジム・クロケット・プロモーションズでWWEで活動し、1978年にはWWEで初めてのタイトル、WWWFジュニアヘビー級王座をマディソン・スクエア・ガーデンで獲得した。
5位 アジャコング
アジャコングは現代の女性スーパースターとは異なり、身体的な技術や速い動きに頼るのではなく、227ポンドのモンスターであり、パワーで相手を圧倒する。アジャコングは16歳の時にプロレスデビュー、1995年にWWEデビューしアルンドラ・ブレイズとの抗争を開始したが、タイトル戦直前にWWEが女子部門を終了させた。現在は日本の女子レスラーのトップトレーナーの一人であり、キャリアで33回のタイトルを獲得した。
4位 TAJIRI
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TAJIRIはWWEに登場するたびに中堅スターとして活躍した。TAJIRIは1998年から2001年までWCWで活動し、ECW TV王座やマイキー・ウィップレックとのタッグ王座を獲得した。ECWが閉鎖されるとWWEに移籍し、最初はコメディアンとして扱われたが、後にWWFライトヘビー級王座を獲得し、その後3度のWWEクルーザー級王座を獲得した。WWEからは2008年に離れた。
3位 ブル中野
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ブル中野は16歳で初のタイトルを獲得し、オールジャパン女子プロレスで名を馳せました。1992年にオールジャパンを離れ、メキシコに渡り、その後WWEに参戦。1994年には東京での試合でブレイズからWWE女子チャンピオンシップを獲得し、5ヶ月間タイトルを保持しました。29歳で怪我のために引退したが、彼女はリングでの10年間大スターでした。
2位 中邑真輔
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WWEは、新日本プロレスで活躍していた中邑真輔を説得・加入させました。WWE加入前の新日本では、IWGPヘビー級王座を3回、タッグ王座を1回、そしてIWGPインターコンチネンタル王座を5回獲得し、日本プロレスを代表する1人でした。
WWEに加入後はNXTで即戦力として活躍しました。NXT王座を2回獲得し、ゴールドブランドのトップスターの一人でした。
1位 アントニオ猪木
日本のプロレス史の1,2位を争うレジェンドがアントニオ猪木である。また新日本プロレスを創設した人物としても知られる。アントニオ猪木は世界中で20以上のタイトルを獲得しており、その中にはWWE世界王座も含まれている。
アントニオ猪木はムハンマド・アリとの伝説的なボクサー対レスラーの試合で戦い、その試合は総合格闘技(MMA)の創設、そして最終的にUFCの創設に影響を与えた。1995年にはアントニオ猪木とリック・フレアが北朝鮮で開催した2つのショーがレスリング史上最高の入場者数を記録した。2010年にはWWEの殿堂入りを果たした。
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