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プロレスで亡くなった選手10選【米メディア選出】【画像】

悲しんでいる様子の画像

2024/2/22作成

 

プロレス界にはその壮絶な闘いや人間ドラマが数多くありますが、長い歴史の中ではリング上での悲劇も起こっています。

本記事では米国のメディアが選ぶ、プロレス界で亡くなった10選手を紹介します。望ましい出来事ではありませんが、プロレスの一部として知っておいて損はないでしょう。

 

 

 

 

ブライアン・オング

ブライアン・オングの写真

画像:https://www.sportskeeda.com/wwe/5-wrestlers-who-died-inside-the-ring

 

国籍:アメリ

生年月日:1974年5月28日

没年月日:2001年5月28日(27歳)

 

2001年5月28日、ブライアン・オングは試合中に負傷し死亡しました。ブライアン・オングは直前の試合で脳震とうを起こしていましたが、トレーナーはトレーニングを続けるよう指示しました。さらにAPW(All Pro Wrestling)のスタッフから保護具や監視を受けていなかったことも判明。そして死亡時の2度目の脳震とうが致命的となりました。ブライアン・オングの家族はAPWに対して訴訟を提起し、APWから130万ドル(当時レートで約1億7000万円)の損害賠償金を勝ち取りました。

 

 

プラム麻里子

プラム麻里子の写真

画像:https://ringthedamnbell.files.wordpress.com/2021/11/plumiko.jpg

 

国籍:日本

生年月日:1967年11月1日

没年月日:1997年8月16日(29歳)

 

日本はプロレスの長い歴史を築いてきて、1997年までリング内での死亡事故を回避してきました。プラム麻里子は死亡する試合までにも何度か脳震とうを起こしていました。しかしながら、医師からの警告もある中、レスリングを続けました。そして、広島での試合で失神し、帰らぬ人となりました。

 

 

ジャネット・ウルフ

ジャネット・ウルフの新聞記事の画像

画像:https://prowrestlingstories.com/wp-content/uploads/2020/11/imagen.jpeg

 

国籍:アメリ

生年月日:1933年6月13日

没年月日:1951年7月28日(18歳)

 

ジャネット・ウルフは女子プロレス黎明期にプロ選手として活動してました。ジャネット・ウルフのキャリアがどれほど素晴らしいものになったかはわかりません。1951年7月、その日は2つの試合を行い、1つ目の試合は基本的なボディスラムで終了しましたが、頭痛を訴えていました。しかし、予定通りに2つ目の試合を行いました。その試合中にリング上で倒れ、意識を取り戻すことなく18歳の若さで亡くなりました。

 

 

オロ

オロの写真

画像:https://static.wikia.nocookie.net/prowrestling/images/9/9e/ORO.jpg/revision/latest?cb=20131023195430

 

国籍:メキシコ

生年月日:1971年12月24日

没年月日:1993年10月26日(21歳)

 

ルチャリブレ(スペイン語でプロレス)はメキシコを代表する文化遺産の一つとして挙げられます。オロは素晴らしい空中技を持つマスクマンでした。メキシコで名高いヘルナンデス家の一員でした。オロの死となった上半身から落ちるシーンは事前に観客を盛り上げるために計画されたものでしたが、これが彼の死につながる結果となりました。わずか21歳の若さでした。

 

 

ゲーリー・オブライト

ゲーリー・オブライトの写真

画像:https://prowrestlingpost.com/wp-content/uploads/2022/08/9-25-2018-1-36-10-PM.png

 

国籍:アメリ

生年月日:1963年5月18日

没年月日:2000年1月7日(36歳)

 

ゲイリー・オブライトは全日本やスタンピード・レスリング(カナダのプロレス団体)などで荒々しい「スープレックスの達人」としてキャリアを築いていました。2000年1月7日、オール・ブライトは相手の技を受けてリングで意識を失いました。死後に名誉を称えて追悼ショーが開催されました。

 

 

 

ムーンドッグ・スポット

ムーンドッグ・スポットの写真

画像:https://static.wikia.nocookie.net/dead-wrestler-database/images/d/d6/Moondogspot.jpg/revision/latest?cb=20220107232147

 

国籍:アメリ

生年月日:1952年1月6日

没年月日:2003年11月29日(51歳)

 

ムーンドッグ・スポットは1979~1997年にプロレスラーとして活動したのちに、一度リングから離れました。その後スポット参戦をする中、2003年にバースデーパーティーイベントの試合に出場し、心臓発作を起こしました。元々の糖尿病も重なり帰らぬ人となりました。

 

 

門恵美子

門恵美子の写真

画像:https://joshiresu.files.wordpress.com/2014/06/emiko-kado4.jpg?w=660

 

国籍:日本

生年月日:1976年1月28日

没年月日:1999年4月9日(23歳)

 

門恵美子は1999年3月にプロレスラーとしてデビューしました。そしてデビュー1ヶ月後の試合中に頭部に衝撃を受けて意識を失いました。結果として脳内出血を引き起こすこととなりました。23歳でした。この出来事は日本女子プロレスでプラム麻里子に2人目の死亡事故となりました。

 

 

ペロ・アグアヨ・ジュニア

ペロ・アグアヨ・ジュニアの写真

画像:https://tvazteca.brightspotcdn.com/cf/81/a0219be641e280a530da85223a9a/perro-aguayo-jr-a-7-anos-de-su-muerte.jpg

 

国籍:メキシコ

生年月日:1979年7月23日

没年月日:2015年3月21日(35歳)

 

ペロ・アグアヨ・ジュニアは1995年から父親と同じくプロレスの道を歩んでいました。2003年にはWWA世界タッグチーム王座のタイトルも獲得しています。2015年にタッグマッチの試合中に相手選手のドロップキックが脊椎の骨折を引き起こし、心臓発作を引き起こしました。

 

 

三沢光晴

三沢光晴の写真

画像:https://static.wikia.nocookie.net/nnjwrestling/images/8/81/Mitsuharu_Misawa.jpg/revision/latest?cb=20171103033328

 

国籍:日本

生年月日:1962年6月18日

没年月日:2009年6月13日(46歳)

 

三沢光晴は2代目タイガーマスクとして広く知られています。1997年6月6日の川田利明との試合は”史上最高のプロレス試合”とも評されることがあります。そんな三沢光晴は46歳の時に参戦したタッグマッチでバックドロップを受けて立ち上がれなくなり、病院で亡くなりました。

 

 

オーエン・ハート

オーエン・ハートの写真

画像:https://staticg.sportskeeda.com/editor/2022/07/061d7-16568495885931-1920.jpg

 

国籍:カナダ

生年月日:1965年5月7日

没年月日:1999年5月23日(34歳)

 

オーウェン・ハートはWWF世界タッグ王座を獲得する実力者です。1999年のある試合で天井から吊るされて入場する中で落下事故が発生、即死でした。家族が過失死訴訟を起こし最終的にWWF/WWEは1800万ドル(当時レートで約20.7億円)を支払いました。

 

 

 

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