2022年7月2日 作成
■はじめに
本記事では1990年代のF1(フォーミュラ1)の歴代ドライバーチャンピオンのTOP3をまとめてみました。
マシンやタイヤのルールが毎年のように変わる中、各シーズンで活躍したドライバーを見ていきましょう。
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■1990年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | アイルトン・セナ | マクラーレン | 78 |
2位 | アラン・プロスト | フェラーリ | 71 |
3位 | ネルソン・ピケ | ベネトン | 43 |
画像:https://www.flickr.com/photos/smuckatelli/8030617353
アイルトン・セナは前年に続き元チームメイトであるアラン・プロスト(1990年にフェラーリに移籍)と争い、2度目のチャンピオンを獲得しました。セナの優勝が決まったのは第15戦日本GPで、なんとスタート直後のセナとプロストが接触によるものでした。この接触をセナは故意であったとコメントしており、これは前年の日本GPにおいても二人が接触したことが大きな要因でプロストがチャンピオンになったことへの報復と言われています。
■1991年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | アイルトン・セナ | マクラーレン | 96 |
2位 | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 72 |
3位 | リカルド・パトレーゼ | ウィリアムズ | 53 |
純粋なマシンの速さではウィリアムズのほうが速いと言われましたが、信頼性の問題からリタイヤが多く、ポイントを十分に稼ぐことはできませんでした。一方3度目のチャンピオンとなったアイルトン・セナは16レース中14回入賞と安定感がありました。
なお、1991年から有効ポイント制(※)から現行の全戦ポイント制に変更されてます。
(※)各レースの結果によって与えられるポイント全ての合計ではなく、その中の上位数レースのポイントのみを使用してランキングを算出する方式(Wikipedia参照)
■1992年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 108 |
2位 | リカルド・パトレーゼ | ウィリアムズ | 56 |
3位 | ミハエル・シューマッハ | ベネトン | 53 |
画像:https://www.autocar.co.uk/opinion/motorsport/day-1992-nigel-mansell-wins-his-first-formula-1-title
F1参戦12年目にしてついにチャンピオンに輝いたのは「無冠の帝王」と呼ばれ続けたナイジェル・マンセルです。前年から競争力のあるウィリアムズは速く、コンストラクターでもマクラーレンの4連覇にストップをかけました。マンセルはこのシーズン途中に引退を表明し、理由は「政治的な駆け引きに疲れた」ため。また、2年後にチャンピオンとなるミハエル・シューマッハがランキング3位に入ってます。
■1993年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | アラン・プロスト | ウィリアムズ | 99 |
2位 | アイルトン・セナ | マクラーレン | 73 |
3位 | デイモン・ヒル | ウィリアムズ | 69 |
アラン・プロストは1991年にフェラーリを解任後、1年の浪人期間を経て、1993年に当時最速を誇るウィリアムズに加入しました。シーズン開始前はチャンピオン最有力候補と言われてましたが、アイルトン・セナの活躍やチームメイトのデイモン・ヒルの成長などがあり予想されたほどのリードはありませんでしたが、第14戦ポルトガルGPで自身4度目のチャンピオンを獲得しました。また同時にF1からの引退を表明しました。
■1994年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | ミハエル・シューマッハ | ベネトン | 92 |
2位 | デイモン・ヒル | ウィリアムズ | 91 |
3位 | ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 41 |
画像:https://www.snaplap.net/benetton-b194/
1994年は二つの大きな話題がありました。
一つ目はミハエル・シューマッハがベネトン時代に初のチャンピオンを獲得したことです。開幕7戦中6勝と大幅なリードを築くも中盤以降失速し、最終レース開始時点でデイモン・ヒルに1ポイント差で並ばれます。迎えた最終オーストラリアGPではなんと両者が接触してリタイヤし、1ポイント差のままシューマッハが優勝しました。
2つ目はアイルトン・セナとラッツェンバーガーのサンマリノGPでの死亡事故です。また他のレースでも負傷者が多く出るシーズンで、F1が安全面を一から見直すことになりました。
■1995年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | ミハエル・シューマッハ | ベネトン | 102 |
2位 | デイモン・ヒル | ウィリアムズ | 69 |
3位 | デビッド・クルサード | ウィリアムズ | 49 |
画像:https://www.motorimoda.com/2021/03/02/michael-shcumacher-1995-figure/
ミハエル・シューマッハがチャンピオンシップ2連覇を達成した年でした。前年はウィリアムズのデイモン・ヒルと1ポイントと僅差の争いでしたが、この年は最終的に30ポイント以上の大差をつけてのタイトル獲得でした。また、チームメイトのジョニー・ハーバートはランキング4位(45ポイント)に入り、ベネトンは初のコンストラクターのタイトルも獲得しました。なお、シューマッハはシーズン途中に長らく低迷するフェラーリへの移籍を発表しました。
■1996年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | デイモン・ヒル | ウィリアムズ | 97 |
2位 | ジャック・ヴィルヌーヴ | ウィリアムズ | 78 |
3位 | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 59 |
画像:https://www.redbull.com/jp-ja/damon-hill-20th-anniversary-f1-title
イギリス人ドライバーのデイモン・ヒルがついにチャンピオンに輝くことが出来ました。長年タイトル争いを演じながらもあと一歩届かない状態が続いていたこともあり、本人も「チャンピオンを獲得した1996年の日本GPが最高のレース」とも評してます。しかし、シーズン途中にチームから翌年の契約はしないことを通知されており、理由としては最速マシンでありながら長年タイトルを獲得できなかったとも言われていますが、最終的にチャンピオンになったことで、その決定が誤りであったことを証明しました。
■1997年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | ジャック・ヴィルヌーヴ | ウィリアムズ | 81 |
2位 | ハインツ=ハラルド・フレンツェン | ウィリアムズ | 42 |
3位 | デビッド・クルサード | マクラーレン | 36 |
抹消 | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 78 |
画像:https://f1experiences.com/ja/blog/meet-1997-world-champion-jacques-villeneuve-in-the-champions-club
1996年にウィリアムズからF1デビューをしたのがカナダ人ドライバーのジャック・ヴィルヌーブです。デビューイヤーから活躍するも安定感の面からデイモン・ヒルに及びませんでした。迎えた1997年、デイモン・ヒルがチームを去ったことで2年目にしてエースドライバーとなり、マシンの競争力も追い風にチャンピオンになりました。フェラーリの再建を託されているミハエル・シューマッハはポイント上は2位になりましたが、最終ヨーロッパGPで故意にヴィルヌーブに接触したとして、ポイントはく奪の処分を受けました。
■1998年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | ミカ・ハッキネン | マクラーレン | 100 |
2位 | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 86 |
3位 | デビッド・クルサード | マクラーレン | 56 |
画像:https://twitter.com/f1/status/793440985313341440
フィンランド人のミカ・ハッキネンがマクラーレンドライバーとして1991年のアイルトン・セナ以来のチャンピオンに輝きました。シーズンを通してミハエル・シューマッハとタイトル争いを演じ、「逃げるハッキネンvs追うシューマッハ」という構図が続きました。二人はお互いの力を認めており、最終日本GPのレース後はシューマッハがハッキネンを祝するシーンが見られました。
■1999年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | ミカ・ハッキネン | マクラーレン | 76 |
2位 | エディ・アーバイン | フェラーリ | 74 |
3位 | ハインツ=ハラルド・フレンツェン | ジョーダン | 54 |
画像:https://pbs.twimg.com/media/Dq0bem1X0AE3ocr.jpg:large
チャンピオン争いはマクラーレンのミカ・ハッキネンとフェラーリのエディ・アーバインの二人が最終戦までもつれ込みました。最終日本GP開始時点ではアーバインが4ポイントリードの状態でしたが、ハッキネンが優勝、アーバインが3位になり、ハッキネンが逆転でチャンピオンになりました。なお、ミハエル・シューマッハは開幕から調子良くポイントを獲得してましたが、シーズン途中で怪我により離脱をしました。コンストラクターはチームとして結束して戦ったフェラーリがじつに1983年以来に獲得しました。
以上
各年代のチャンピオンをまとめてます。
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