2022年7月6日 作成
■はじめに
本記事では1980年代のF1の歴代ドライバーチャンピオンのTOP3をまとめてみました。
マシンやタイヤのルールが毎年のように変わる中、各シーズンで活躍したドライバーを見ていきましょう。
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■1989年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | アラン・プロスト | マクラーレン | 76 |
2位 | アイルトン・セナ | マクラーレン | 60 |
3位 | リカルド・パトレーゼ | ウィリアムズ | 40 |
前年から始まったアイルトン・セナとアラン・プロストの確執が表面化したシーズンでした。この年のサンマリノGPでのセナの紳士協定(スタート直後は勝負をしない)無視や日本GPでの接触など、コース上では文字通りぶつかり合い続けました。最終的にプロストが3度目のチャンピオンを獲得しましたが、そのプロストはシーズン途中にフェラーリへの移籍を発表し、さすがにマクラーレンも激怒しました。
■1988年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | アイルトン・セナ | マクラーレン | 90 |
2位 | アラン・プロスト | マクラーレン | 87 |
3位 | ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 41 |
画像:https://www.ayrton-senna.net/f1-greatest-races-suzuka-1988/#
ブラジル人ドライバーのアイルトン・セナがデビュー5年目にしてついにF1チャンピオンになりました。この年はマクラーレン・ホンダが圧倒的に早く、なんと16戦中15勝しており(残りはフェラーリが1勝)、第11戦で早々にコンストラクターのタイトルを獲得しました。マクラーレン内でもセナが8勝、プロストが7勝と互角の戦いをする中、F1あるあるでチームメイト間の関係は悪くなっていき、有名な「セナプロ対決」が始まりました。
■1987年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | ネルソン・ピケ | ウィリアムズ | 73 |
2位 | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 61 |
3位 | アイルトン・セナ | ロータス | 57 |
画像:https://jp.motorsport.com/f1/news/nelson-piquet-one-of-f1s-most-formidable-champions/4777949/
前年同様にウィリアムズはネルソン・ピケとナイジェル・マンセルのコンビでシーズンに臨みました。ホンダエンジンを載せたウィリアムズは他チームを圧倒する速さを見せて(同じくホンダエンジンのロータスも速かった)、チャンピオン争いはウィリアムズ同志で行われまし。一発の速さはマンセルが勝るも、シーズンを通した安定感を見せたピケが通算3度目のチャンピオンを獲得しました。
■1986年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | アラン・プロスト | マクラーレン | 72 |
2位 | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 70 |
3位 | ネルソン・ピケ | ウィリアムズ | 69 |
画像:https://www.as-web.jp/f1/584680/attachment/australian-grand-prix-adelaide-aut-24-26-10-1986
1986年シーズンはプロスト、マンセル、ピケ、セナ(このときロータス)の4強でチャンピオン争いが繰り広げられました。この4人はここから1990年代にかけてのライバル関係でF1界を盛り上げていきました。チームとしてはウィリアムズが速さを見せた結果、コンストラクターを獲得しました。一方チャンピオンは最終レースで大逆転優勝をしたアラン・プロストが2年連続で獲得することになりました。
■1985年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | アラン・プロスト | マクラーレン | 73 |
2位 | ミケーレ・アルボレート | フェラーリ | 53 |
3位 | ケケ・ロズベルグ | ウィリアムズ | 40 |
画像:https://formula1-data.com/article/monaco-mclaren-15-victory
アラン・プロストは前年に続きチームメイトのニキ・ラウダとチャンピオンを争うかと思われていましたが、マシントラブルもありニキ・ラウダが早々に脱落しました(ラウダはその後に引退を表明)。シーズン途中まではフェラーリのミケーレ・アルボレートと互角の戦いを見せますが、後半戦にポイントを重ねたプロストが以外にも(?)フランス人として初めてF1チャンピオンに輝きました。
■1984年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | ニキ・ラウダ | マクラーレン | 72 |
2位 | アラン・プロスト | マクラーレン | 71.5 |
3位 | エリオ・デ・アンジェリス | ロータス | 34 |
オーストラリア人ドライバーのニキ・ラウダが自身3度目のチャンピオンになった年です。ルノーから移籍してきた若きホープのアラン・プロストと最後の最後まで争い、現在も更新されていない最少ポイント差(0.5ポイント)でチャンピオンになりました。ポイント上は互角ですが、年間を通してみると、レース完走数は互角(ラウダ10回、プロスト11回)でしたが、平均順位の面でわずかにラウダが上回りました。ちなみに、ラウダは一度もポールポジションを獲得しておらず、ポールポジション未獲得でのチャンピオンはラウダ以降現れてません。
■1983年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | ネルソン・ピケ | ブラバム | 59 |
2位 | アラン・プロスト | ルノー | 57 |
3位 | ルネ・アルヌー | フェラーリ | 49 |
ネルソン・ピケは昨シーズン11位とパッとしませんでしたが、1983年はチャンピオンを獲得した1981年の速さを取り戻し、ルノーのアラン・プロストとフェラーリ勢と戦いました。ピケは1981年同様に最終戦開始時点ではランキングトップのプロストに対して2点ビハインドでしたが、またしても逆転でのチャンピオンを獲得しました(この出来事でピケに逆転優勝のイメージが付くことになりました)。
■1982年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | ケケ・ロズベルグ | ウィリアムズ | 44 |
2位 | ディディエ・ピローニ | フェラーリ | 39 |
3位 | ジョン・ワトソン | マクラーレン | 39 |
画像:https://www.formula1.com/en/drivers/hall-of-fame/Keke_Rosberg.html
レース勝利者が全16戦で11人と混乱を極めたシーズンを制したのは、ウィリアムズ移籍初年度のケケ・ロズベルグです。ケケ・ロズベルグ自身も勝利は第14戦スイスGPのみでした。息子のニコ・ロズベルグは2016年にメルセデスドライバーとしてチャンピオンを獲得しています。なお、このシーズンを通して強さを見せたのはフェラーリのディディエ・ピローニでしたが、第12戦のドイツGPで大けがを負い、残りをリタイヤしました(もし怪我無く走り続けていたらどうなっていたか…)。
■1981年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | ネルソン・ピケ | ブラバム | 50 |
2位 | カルロス・ロイテマン | ウィリアムズ | 49 |
3位 | アラン・ジョーンズ | ウィリアムズ | 46 |
画像:http://en.espn.co.uk/f1/motorsport/image/98215.html
ネルソン・ピケが初めてチャンピオンになったシーズンです。チャンピオン争いはウィリアムズの2人と争い、ピケは最終レースの開始時点まで一度もランキングトップに立ってませんでしたが、最終ラスベガスGPの結果で逆転チャンピオンになりました。この年のレーススケジュールは開幕がアメリカ西GP(3月15日)で最終がラスベガスGP(10月17日)と1つの国で始まり、そして終わりました。
■1980年シーズン
順位 | ドライバー | チーム | ポイント |
---|---|---|---|
1位 | アラン・ジョーンズ | ウィリアムズ | 67 |
2位 | ネルソン・ピケ | ブラバム | 54 |
3位 | カルロス・ロイテマン | ウィリアムズ | 42 |
画像:http://williamspedia.blogspot.com/2011/12/alan-jones.html
1977年にチームを興したウィリアムズがコンストラクターを獲得し、ここから1980~1990年代を折檻することになります。そのウィリアムズのオーストラリア人ドライバーのアラン・ジョーンズは年間5勝を挙げて、表彰台もコンスタントに上がった結果チャンピオンに輝きました。
以上
各年代のチャンピオンをまとめてます。
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