目次
はじめに
箱根駅伝は毎年1月2日3日に行われる平均視聴率20-30%を誇る国民的大学スポーツイベントです。
コースの中でも5区の山登りは特に選手への負担が大きく、順位変動も多く起こるためファンが注目する部分です。
そんな5区で「山の神」として名を馳せた柏原竜二選手は、今もなお箱根駅伝史に刻まれる伝説的な存在です。
本記事では東洋大学のエースとして5区の山登りで数々の驚異的な走りを見せた柏原竜二選手の奇跡と卒業後の進路、そして現在の活躍について解説します。
箱根駅伝での功績
柏原竜二選手は東洋大学の選手として2009年から2012年まで4年連続で箱根駅伝の5区を走りました。
1年生の頃から4年間全てで山登りを任されたスペシャリストの選手と言えます。
そして走った4回全てで区間賞を獲得し、その功績から「山の神」と呼ばれるようになりました。
ちなみに柏原竜二選手の「山の神」は2代目であり、初代は順天堂大学の今井正人選手です。
柏原竜二選手が在籍した4年間のうち東洋大学は箱根駅伝総合優勝を3度獲得するなど、東洋大学の黄金時代に大きく貢献しました。
以上の功績から、柏原竜二選手は今なお箱根駅伝でも語られるランナーとして歴史に名を残しています。
また、箱根駅伝以外の大学駅伝でも結果を残しており、全日本大学駅伝では2回区間賞、ユニバーシアード10000mで8位を獲得しています。
東洋大学卒業後の進路と活躍
柏原竜二選手は2012年の卒業後に富士通の陸上競技部に所属する道を選びました。
マラソンの実績としては2015年にシドニーマラソンに出場し、自己ベストとなる2時間20分45秒の記録を残しました。
ニューイヤー駅伝には2013年から2016年の5回出場しており、いずれも区間上位成績を残しています。
一方、柏原竜二選手の競技人生はアキレス腱や関節などのケガに悩まされることも多かったです。
最終的には2017年4月、27歳の時点で現役選手を引退しました。
現在は?
2017年4月の選手引退後も富士通を退職はせず、会社員として在籍し引き続きスポーツに関わる仕事を行っています。
まずは箱根駅伝でのテレビ解説者を行っており、自身の経験・実績から語られるコメントは視聴者からの高評価を得ています。
また、富士通のアメリカンフットボールチーム「富士通フロンティアーズ」のマネージャーを務めるなど新たな分野でも活躍をしています。
ちなみに、私生活のほうは2019年にBS11アナウンサーである八木菜緒さんと結婚しており、2020年12月に第一子、2022年11月に第二子を授かっています。
まとめ
本記事では箱根駅伝のレジェンドランナーである柏原竜二選手の昔から現在までの活躍を紹介しました。
箱根駅伝の偉大な選手を知ることで、より一層箱根駅伝を楽しむことが出来るかもしれません。
以上
【参考】柏原選手の画像
https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/b80132da9495496d74977dfa83f187a1.jpg